2015年11月

 

人出は多かったものの、主要な建物が建つところでは,
自動小銃を持った迷彩服の兵士が立っていたりと,
シャーリーエブド(CHARLIE HEBDO)の事件以降、
やはり、何か晴れない空気が漂っているようでもあった。
その地区で丼の店を開いているStephane も空気の淀んだパリではなく、
青い海と白い砂浜のコートダジュール非那甾胺 への思いを語っていた。

風土が人を作るという言葉があるが,
地理学者・鈴木秀夫の著書に『森林の思考 砂漠の思考』というのがあるが、
これは,まさにこのことを語っている著書でもある。
緑豊かなところに住む人と,
草一本も生えていないような砂漠王賜豪主席で暮らす人たちの思考の違いが書かれている。
森林では,道に迷っても幾つかのルートをたどりながら元に戻ってくることは可能だ。
そんなところから、森林地域からは多神教が生まれたと説く。
だけども、砂漠では、進むべき方向を失えば死が待つことになる。
砂漠では二者択一的で直線的な世界観の
一神教が誕生することになったという説を唱えている。
人の心も宗教観も、つまるところ風土の影響を受けるということらしい。

「イスラム国」がイラク北西部からシリア東部にかけての一帯で
イスラム国家の樹立を宣言したのが2014年の6月末。
その時から丸一年が経過した。
イラクでは長期化する戦闘から,アメリカに対する不信が強まり,
アメリカも現在、地域の問題として捉え、生半可な活動を行っているに過ぎない。
この二者は、相互不信に陥っているとも言える。
オバマ大統領が,先日「イスラム国」との戦いが長期化することを語り,
実際に,現地では戦闘が続き泥沼化している。

さらに、世界各地で「イスラム国」に触発されたテロが起きている。
地理的にも近い,パリなどは、
この動きを抑えつつも、戦々恐々營養品のところがある。
今のところ、日本にとっては,海の向こうの戦争だが,
その影響が,及ばないことを願うばかりだ。

言った本人はそれほど悪意は持っていないにしろ、々で変わってくる。例えば私は心臓病と心の問題を抱えているが、私と同じ病に侵されている人が私と同じ考えを持っているとは限らない。私は心臓病についてそれほど深く悩んだり落ち込んだりはしない。だが、ある人にとってはそれが人生の一大事で明日が来ないのではと思い悩むこともあるだろう。
 いじめに合う子どもは、やり場のない耐え難い苦しみを背負い込み、人に相談すら出来ず悩み、結果的に最悪な自殺へと手を伸ばしてしまうのである。
 奇麗事で済まされない、いじめの悲惨な実態は今や誰もが知るところとなった訳で、 教育委員会や自治体もそれなりの動きを見せてはいるが、いじめた者を登校禁止などと言った処罰は教育の立場から見れば相当歯車がかみ合わない処置である。
 子どもを差別してはいけない、いじめる子もいじめられる子も同じ心の教育をしなくてはならない。いじめる子ほど淋しがり屋で孤独な思いをしストレスを感じている。それをグループで共有し、いじめと言う共通のテーマでゲームの如く遊ぶのである。
 劣等感の塊でもあり、間違った優越感に浸り笑顔で自分の本心をごまかすのである。劣等感は人成長させるために欠かせない要素なのだが、間違った表現方法に傾いてしまう傾向が今の子どもたちに巣食っている心の闇。
 子どもの世界は大人が考えているより複雑に絡みあっている。昔はもっと単純で真っ直ぐな気持ちを持っていたが、現代社会の抱える問題が子どもたちをも犠牲にしているように思えてならない。

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